元寇撃退を偲ぶ旅、最終目的は、東公園。
地下鉄🚇の千代県庁口駅で下車。
階段を登り切ると案内地図。
大きな灯籠は、存在感抜群。
十日恵比須神社⛩
恵比須様が流れ着いたというのが事の始まり…。
時間も無いので今回はスルー。
亀山上皇立像
ツツジの頃に来ると素晴らしく美しい様です。
来年その頃、また来たいな(^^)
↑亀山上皇(天皇)像建立の経緯を、上手に纏めてくれているブログ。
「我が身をもって国難に変わらん」
いつの世も天皇陛下が民草の為に祈って下さる、この日本🇯🇵に生を受けただけで幸せというもの…。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/亀山天皇
文永2年(1265年)には、元のクビライからの国書が高麗を介して伝えられ、鎌倉から送達される。幕府は元に備えると共に、朝廷は神社に異国降伏の祈願を行う。院政中には2回の元の対日侵攻(元寇)が起こり、自ら伊勢神宮と熊野三山[2]で祈願するなど積極的な活動を行った(当時の治天であった亀山上皇か、天皇位にあった後宇多天皇の父子いずれかが「身を以って国難に代える祈願」を伊勢神宮に奉った。父子のどちらにその祈願を帰すべきかは、大正年間に学者の間で大論争を呼んでいまだ決着のつかない問題である)。
「亀」🐢のお印し。何とも素敵ですね❗️
東公園越しに、博多市街地を睥睨する福岡県庁。
国防の要衝の地にあり、努努、国を売ることなかれと思う。
毎日この景色を眺めていたら、敵国達を背中に背負っていたら「気が引き締まる思い」だと思いますよねー、普通。
日蓮聖人像
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/日蓮
元寇の古戦場であるこの東公園の中に建立されています。
アップです。
日本で三番目に大きな銅像ですかー。
TOP3を拝んだ事になりますね。
蘊蓄。
それにしても仏像に次ぐ、自然人ではトップに君臨する「聖職者」
日蓮を空海、最澄を差し置いて特別な者(No.1の銅像)にしているのは何なのでしょうね?
八面の台座には、正面の立正安国 の文字が彫られたレリーフと、残り7面は、元寇と日蓮聖人に纏わるドラマが描かれた銅製レリーフを供えています。
文永11年10月20日、元軍、水城に迫るところ、少弐景資が敵将・劉復亨を弓で射倒す
文永8年9月捕らわれて刑場に引かれていく日蓮聖人。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/龍ノ口法難
建治元年(1275年)4月にやって来た元の使者五人を同年9月に龍ノ口(刑場)で斬る
日蓮聖人、鎌倉小町に辻立ちし、説法を行う図
文永11年10月5日、元軍、対馬を襲来、島民を惨殺する図
「(比企)大学三郎(能本)」が殿中で安国論を講ずる図
日蓮聖人の庇護者であった比企大学三郎能本にあてた弘安元年(1278)の書状で、縦30.2cm長さ383cmの巻物になっている。法華経の教えが華厳・真言両宗より優る由縁を説いたもので、龍口法難の折りに大学三郎が安達泰盛に働きかけて日蓮助命に奔走したことも書かれている。
本土寺は、初期日蓮宗教団を隆盛に導いた日朗上人に連なる最大門流である朗門の中でも、池上本門寺、鎌倉妙本寺と並ぶ屈指の名刹である。
比企一族と日蓮の因縁…
比企地方の旧家: 我が本家(1000年の歴史を持ち清和源氏に辿り着くという)の菩提寺が、何故「日蓮宗」なのか分かった様な気がしました。
元寇資料館
そして元寇資料館へ。
土日に開館と聞いていたのに、なんと閉まってるじゃないの❗️😤
今は予約しないと開けないとの事。。。
来場する人少ないからなのか、残念ですね。
同じ建物の中に焼き鳥屋が入っていて、何か不思議な空間でした。。。