浜辺方面に向かって坂を下って行きます。。。
もう満開の菜の花と碧い海のコントラストが美しい。
下り切った所に、目指す長宗我部元親公像縁の掲示板があります。
通し番号が付いていますが、どうやら、最後尾から上っていく感じになりそうですね。
石丸神社
直ぐに『重た〜い』場所に出くわしました。
反乱勢力二百余体の首塚ですよね。。。
https://japanmystery.com/koti/isimaru.html
こういう場所では、確りと祈りを捧げないとですね。
壱岐や対馬の塚も異様な雰囲気に未だに包まれている感じがしましたが、ここもまだ400年やそこら前の話。。。
謀殺に近い(仲間に背後からバッサリ斬られたような)話ですから怨念の深さは相当なものかと。
霊魂を鎮める為のお約束。地蔵像たち。。。
『15 』に説明されている『一領具足の碑』
そんな大昔の先祖達の霊魂を慰めるかの様に美しい花壇の街道が続いていきます。
15. 一領具足の碑
先に実物を見てしまいました。。。
既得権を突如、失う事になった人々の抵抗。#浦戸一揆 歴史に善も悪も是非もない、勝者が全てを得るという典型例ですね。
宇賀神社説明石碑。
時間がないので素通りです。
https://www.kojyanto.net/kochi_inf/kochi-meibutu/nagahama/
こんな素敵なお祭りが催されるんですね。。。
14. 雪蹊寺、信親墓、秦神社
菩提寺の雪渓寺。
そして祀られている神社が『秦』神社。
長曽我部氏は、秦氏の末裔?と思ったら、やっぱりそうなんですね。
>長宗我部氏 - 信濃秦氏の秦能俊が土佐国長岡郡宗部郷の地頭となったため改姓。
古代→中世→近世→現代と脈々と繋がる日本。
そのルーツは単線ではない。
(少なくない日本人が西域にノスタルジーを覚えるのは、ルーツの一つがそこにあるからに違いないと思います)
時間が全然なく、立ち寄れなかったのは残念です。
13.浦戸城
進路と逆行していると、ここで浦戸城の説明を、されてもって感じです😂
12.元親墓所と愛馬の塚
元親の墓所と像を取り違えた(勘違いした)のが、後に来るトラブルをもたらす最大の失敗でした。。。
11. 岡豊城
ここは、このエリアではないですね。
↑ ネットで後日勉強させて貰いました。
また、高知に来る事があれば、訪ねてみたいでふす。
10. 大坂の陣
豊臣方に就いた長宗我部氏の命運尽きる。。。
時代の趨勢を見る目がなかったのか、そうせざるを得なかったのか。
『もう一度土佐に返り咲きたい』その思いはよーく分かります。
良いところですもの。
徳川側に回ったって、家康が、絶対的にそれを許す筈がないですからね。
来し方を振り返る。
相当歩いた気がしますが、まだ道半ば😅
9. 関ヶ原の戦い
1599年に、凋落したとは言え絶対的な領主である元親が没し、期待の跡取り・信親もこの世にはいない。
一旦、傾いた家運が戻る事はないのは、いつの時代も大名家、庶民の家を問わず、同じですよね。。。
徳川にも、秀頼(石田三成)側にも確たるコネクションを持たず石田側にギャンブルでつかざるを得なかったとは。。。
賭けにも負けて万事休す。
8. 戸次川に死す
期待を一身に背負った嫡男を、失う。
跡継ぎが優秀であればある程、それは戦国武将にとっても領民にとっても悲劇。
名将・長曽我部元親の、その後の人が変わった様な治世ぶりというのも、理解出来なくもないですね。
それに比べて、徳川家康などは、やっぱり鋼のメンタルなのでしょう。。。
7.豊臣家への服従
外様大名への忠誠の尽くさせ方は、徹底してますね。
小田原攻めや、九州平定、二度の朝鮮遠征へのご奉公を求められ、それをこなしてを行かざるを得ない軍門に下った者の定め。。。
現代日本の悲哀と重なってしまいます。
6. 秀吉の四国侵攻
四国統一を目前に、土佐一国に逆戻り。
圧倒的な武力差の前には、飲まざるを得ない『現実路線のリアリスト』ですね。
然し、過酷な(優秀な)秀吉の服従要請はココからスタート。
5. 信長との親交〜関係悪化
4. 元親、四国統一への野望
3. 土佐統一
2.四国七守護の攻防
いよいよラストの一枚。
1. 元親登場
初陣である長浜の戦い。
https://www.city.kochi.kochi.jp/site/kanko/tonomotokosenjyou.html
デビュー戦って大事ですねよ。その機会を確り活かす。
高知と言えば、クジラも象徴の一つ。
沖縄では似たコンセプトの像はイルカでした。
目的地・元親像
ようやっと辿り着きました
http://wakamiya-kochi.com/shrine_festival.html
鳥居をくぐると、その先、参道が以外と長い事に驚きます。
参道から一段右にズレた場所に元親像はあります。
色んな武将の像はありますが、コレは指折りのカッコ良さですね。
槍が本当に長いです。約6Mだって❢
初陣像由来記。
別アングルから。
四国全土を掴め(制圧せよ)!
正に戦国時代のロマンですね。晩年は少しおかしくなってしまった様なのは残念ですが。
グッド・トラブル?
最後に、いつものヤツがやって来ました!
路線バスのバス停も時間も調べて、後は捕まえるだけだと思って、元親像を後にしたら、道を歩いても一向に、どこにもバス停がない!
残り時間を考えると流石に焦りました。
全くのstranger
タクシーなんか流してないし、、、。
何が起こってるのか分かなくなりましたが、こんな時は人に聞くしかない。
向いからやって来たジモピーお兄さんに『この辺にバス停ないですか?』
と訪ねれば、意外にもバス停ないですよ、この辺にはとの回答。
困惑の度合いは深まりましたが、ちょっと歩いた先にはある筈だから、『歩いて案内しますよ』との天使の様なお言葉に甘え、
私が事前に見た観光案内図で進行方向左に見える筈のものが右側にある事に気づいて、ようやく謎が解けてきました。。。
それにしても、歩いて付き合ってくれる事10分以上。世間話やら、ひろめ市場の風景・食べ物など雑談を交わしながら、ようやくお目当てのバス停に辿りつく事が出来ました!
お名前をお聞きするのも忘れましたが、本当に助かりました。
『困った時はお互い様ですから』と爽やかに人情を示して頂き、地方の(日本人の)温かさを感じました。
この場を借りて、改めて御礼をば申し上げます。
エピローグ
バス停でバス待ちしていた、おばあちゃんと自然と話し込む格好になりました。
話しをしていく内に、ちょっとした偶然の繋がりに驚きました!
元々は土佐清水地方のご出身ということですが、弟さん(今は故人)が、埼玉県・寄居町で暮らしていたとか。
奥様(寄居の方らしい)を早くに亡くして、後ゾエもとらずに三人子を育て上げたという話を聞きました。寄居には葬儀を含めて何度か行った事があるそうです。
我がホームタウンの事も知ってました!
高知の今昔、(行った事があるという)東京のお話など、亡くなった母より若干、お年は上と拝見しましたが、何か母と会話している様で、トラブルの後の、和みのひと時でした。
人情を感じた土佐路ですが、やって来たバスは満席で、おばあさんが立った付近に、どっかと座っていた龍馬マラソンスタッフの若者が、この老婆に席を譲ろうともしない姿に、ちょっとガッカリ。
完全な日本の教育失敗の姿を感じつつ、楽しい高知ショート・トリップは終了となりました。