◆エピローグ
娘を入学式に送り届け、感無量。
折角、休みを取ったのでアチコチ、ドライブしてみる。
余りに公私に渡り辛い事の多かった昨年度を
鑑みれば「厄除け」必須。
それ程近場ではないけど、「厄除け」と言ったらここしかないっしょ❗️
と言う事で、川崎"厄除け"大師に足を伸ばしてみた。
恥ずかしながら関東平野で長く生きてきて、ココに行くのは初めてです…。
ところで、昨年だったら入学式もなかったワケで、一年の差で天と地。
修学旅行も滑り込みで行けたし、コロナ禍の不幸な時代にあって恵まれた「運の良い世代」なのかも知れない、としみじみ思う。
◆薬師殿
平日と言うことか、ガラガラの駐車場へ入って行くと、この日本の寺院に似つかわしくない、東南アジアでよく見かける、小乗仏教寺院🛕風の建物が目に飛び込んでくる。
小用を足しに休憩所に入ると、何と、奈良のキモ系ユルキャラ「遷都くん」的なマスコットがいるじゃあ、ないですか。
平間寺だから、ひらまくん
一捻り欲しい所ですかね…。
いや、捻っちゃいけないのか😅
◆場内へ
広い寺院内、まずは地図で確認。
公式HP
まことに大寺院です…。
お寺なんですが、何か縁のある人達が目立っちゃってる印象です。
まず、お出迎えしてくれたのは、古賀政男氏。
古賀メロディーは、人生の哀歓をこれ以上にはあらわせないのではないかと思うほど、胸を打つものがある。古賀政男氏は当山への信仰がことのほか深く、昭和52年3月21日川崎大師讃歌を作曲奉納された。その翌年の7月25日古賀氏は逝去されたが、この胸像はその七回忌にあたり弘法大師1150年御遠忌並びに吉例大開帳奉修の記念事業として建立されたもので、御影石の台座の上に高さ80センチのブロンズ製の氏の胸像が安置されている。
台座の正面には、氏直筆の川崎大師讃歌の譜面、右側面には第44世隆天貫首の「古賀政男先生を偲びて」と、建立趣旨の碑文が刻まれている。(公式HP)
次には、この立派な親方像が目に飛び込んできます。
大相撲第五十五代横綱 北の湖敏満殿は、川崎大師平間寺檀家。生前、御本尊厄除弘法大師に篤い信仰を寄せられた。平成29年(2017)10月1日三回忌の折、親族奉納により銅像を建立。後方には、出羽ノ海運右エ門、待乳山萬右エ門、入間川治太夫の年寄名跡が刻まれた石柱が建つ。
(公式HP)
五重の塔も朱塗られていてゴージャスです。風景に独特の彩りを与えています。
詳しくはコチラ↓
(設計された大岡實氏事務所サイト)
弘法大師像。
草履を手向けて健脚にあやかるのだとか。
昨年、足の大怪我したのですが、水を掛けるだけにしておきました…。
こんな映画もあったんですね。
「日中友好」のプロパガンダなら御免蒙りますが、まぁ、チェックしときましょう。
→ うーん🧐Amazon prlmeで未だ無料化してないなぁ。
◆やすらぎ橋
朱塗りの橋を渡った先の極楽浄土?で御釈迦様像が、待っていてくれます♬
池の鯉達、栄養が行き届いてますね。
金ピカのお釈迦様。
何かやはり、タイ🇹🇭やミャンマー🇲🇲で出会った金ピカの御釈迦様の風情を懐かしく思い出すフォルムです…。
春たけなわ。光のシーズン到来❗️ですね。
「後光」がさしてます。
胎内にはインドから請来された真身仏舎利(お釈迦様の遺骨)が安置されているのだとか。
一体、この世にどれだけ分骨されてるのでしょう⁇
やすらぎ橋の名に恥じない、何とも静謐な和みの空間がそこにありました。
◆平和の像
弘法大師1150年御遠忌と10年目毎の吉例大開帳(※)奉修を記念し、造立された像。文化功労者、日本芸術院会員・円鍔勝三氏による制作。
(川崎市HP)
(※)開帳とは、秘仏を安置する仏堂や厨子の扉を開き、人々が遍 く拝観できるようにすること 。 川崎大師では「大開帳奉修」 とし て10年に一度執り行うのが吉例です。
(中略)
また、川崎大師の大開帳は、 期間中に「赤札」が授与される ことで特に有名です。これは、弘法大師の直筆と伝わる「南無阿弥陀佛」の六字名号を版にして、貫首(住職)が一つ一つ手刷りした護符のこと 。「赤札をいただけば、無量の功徳を授かり、また、罪障消滅して遍く利益が得られるばかりでなく、一旦危急に面した場合にも、あらたかな霊験があらわれる」と古くから伝え信じられています。
https://www.keikyu.co.jp/visit/magazine/pdf/nagisa583.pdf より
◆本殿
本殿には、両サイドに「弘法大師」の提灯の圧倒的な存在感。
時は偶然、花まつり期間。
設置された御釈迦さまに水をお掛けし、心の平安を感じる事ができました。
天上天下唯我独尊?
◆大山門
大山門(正門)も、ご立派の一言。
本来、こちから参るのが正解なんでしょうが車で来たもんで、、、。
昭和52年に建立、だそうです。
コチラも前述の大岡實氏設計。
由緒歴史があるのかと思いきや、お寺自体の歴史と比べたら案外歴史は浅いのですね。
ていうか、あの戦火で何もかも燃えてしまったのでしょうから、仕方ない話なのですね。
昭和も50年になり、漸く傷も癒え平和の象徴も取り戻せて来たということでしょうか。。。
何て読むのかしら?
◆四天王像
正面の二体しか目につかなかったけど、東西南北?四体あったんですね。
だから四天王。
ちゃんと予習してこなければダメですねぇ。
持国天は四天王の一体、東方を護る守護神[1]として造像される場合が多く、仏堂内部では本尊の向かって右手前に安置されるのが原則である。
増長天は、四天王の一体、南方を護る守護神として造像される場合が多い。仏堂では本尊の向かって左手前に安置するのが原則である。
またの機会にお願いします🙇♂️
献香所。
大人数で囲ってるイメージがあったので、割と、こぢんまりと小さく感じる…。
エピローグ
超レイトランチは、大山門脇の
「蕎麦膳はやま」さんで。
大好物の鴨南蛮をオーダー。
岩手産の鴨🦆との事で、これが驚くほどの美味。
つけ汁も鴨出汁がしっかり出た逸品でした。
蕎麦湯と共に完飲しちゃいました。
草臥れた風情の「観光地の料理屋さん」と侮ってましたが、期待を良い意味で裏切る、この為だけに旅😅をしても良い、と思える逸品でした。。
感動と共に「ご馳走様」
「平安の世界」の筈が、何故か「昭和」を色濃く感じるお寺、そんな感じが致しました。
また来ます (I will be back)❣️